先日の「木星による「ゆるし」効果が発揮されるといいことばかりになるよ~」という記事で、私、またやっちゃってました。
それは、木星獅子座のゆるし効果として、「自分は神であり、他人は石である」という感覚を自分の中に入れていくことで、私は許せるようになっていった、というような内容を書いたことです。
こういう獅子座的過激表現すると、必ずどなたかがご批判コメントをくださります。
他人を全て見下した上での許しというのは、本当の許しではないような…。
その結果、それで本当に幸せだと感じておられるのなら、それはとても見当外れなことだと思います。
その結果、それで本当に幸せだと感じておられるのなら、それはとても見当外れなことだと思います。
というご批判コメントをいただきました。
まさにおっしゃるとおりです。
自分が神で、他人が石である、なんていう価値観は罪深いことであり、本当の許しではありません。
この方のように捉えられて、不快な思いをされた方も多いと思われます。
私としては、先日のブログの表現で思いが伝われば、というのがありましたが、獅子座のぶっきらぼうさが出てて、説明不足によって誤解を招いてしまった、と今は思っています。
「自分は神であり、他人は石である」ということが正しいわけでもなく、それが「許し」というワケではありません。
では、先日の私の記事は何が言いたかったのか、と言いますと、若い頃にあまりにも許せなくて苦しくなっていた自分をなんとかするための方法として編み出したのが、「自分は神であり、他人は石である」という思い込みを利用することだったんです。
獅子座は自分が王様という感覚になるといい方向へと向かうので、木星獅子座の私は、「自分は神であり、他人は石である」という感覚を取り入れていくことで、いろいろ気になっていたことや、苦しんでいたことや、悩んでいたことなどがどれもバカらしくなっていきました。
今まで苦しんでいたことがバカらしくなっていったことによって、いろんなことが許せるようになっていきました。
「自分は神であり、他人は石である」という価値観でずっと生きることはヤバいことですが、木星獅子座の「ゆるし」効果を発揮させるためには、そのときの私には、「自分は神であり、他人は石である」という思いは、自分を助けてくれたのです。
自分で自分を救うことができれば、許しにもつながる。
私にとって、「自分は神であり、他人は石である」という獅子座的思い込みは、許しへのステップだったのです。
私には救いだったのです。
この木星の「ゆるし」効果は、どのサインかによって人それぞれ。
先日の記事でご不快な思いをされた方にはお詫び申し上げます。
本日の記事で、私が何を伝えたかったのか、再度ご確認いただけましたら幸いです。
本日の記事でもまだ言葉足らずなような気はします。
太陽獅子座の貴乃花さんなんかも典型的な獅子座のぶっきらぼうさによる誤解を受ける典型ですね。
私も太陽・木星が獅子座ですので、誤解を受けやすい。
そういう誤解が生じたときは、このブログでも説明していくことで誤解を解消していく努力をしていきたいと思っております。