占星術的ことば遊びシリーズ。
先日、「ドリームハラスメント」(高部大問著、イースト新書)という本を買いました。
副題が、「夢」で若者を追い詰める大人たち、というものでした。
最近、よく、「夢を持とう」って、言われたりしますよね。
そういった「夢を持つということ」を、今の時代、大人たちが若者へ強要してるのではないのか?
という疑問を呈した本で、夢を持つということがハラスメントになってる、っていう衝撃の書でもあります。
そこで本日は、「夢を持つということ」を占星術的に見てみます。
「夢を持つということ」と占星術と、なんか関係あるのか?
と思われる方も多いでしょうが、これはけっこう関係あるのでは、と私は思っています。
この本に書かれてるように、無理矢理かのように子どもたちに「夢を持つということ」を強要するのはハラスメントであり、最悪の教育ともいえると思います。
こういうのは、ホロスコープを無視して、大人たちが土星的な締め付けで無理矢理に夢を子どもへ植え付けようとしてるだけ。
夢なんてものは無理に持つもんじゃない。
なんか、こう、魂の叫びというか、心の奥底かわ湧いてくるのが「夢」なんじゃないのかな、って思う。
大人たちは、「夢」をエサに、子どもたちへ働く目標を持たせようとしてるだけ。
そこに子供の魂の喜びはない。
とはいえ、夢を持つということは素晴らしいことでもあるのです。
夢を、自分の心の奥底から追い求められれば、それは最高な生き方ともいえます。
そうやって、心の底から「夢を持つということ」は、やはり、ホロスコープの星たちをまず先に輝かせる必要がある。
たとえば私の場合、太陽獅子座なので、獅子座的な夢を持つ前に、先に、まず獅子座的な生き様をしていく必要があるのです。
どういうことかというと、とにかくまず、獅子座的に、華やかに、楽しく、希望的に、冒険的に、明るく生きていくということが先に必要なのです。
その太陽獅子座を実践していくことで、きっとゆくゆくは獅子座的な夢が見えてくるに違いない。
獅子座的に実践的に生きていないのに、獅子座の夢は描けないかもしれない。
無理矢理にまず夢を設定する、っていう大人の事情のような行為が一番危険だと思う。
親によって、自分のホロスコープに全くあってないような夢を設定されようもんなら、その子は精神的におかしくなっていくでしょう。
そういうのをドリーム・ハラスメントと言うのです。
夢なんて、そうそう、だれもが描けるもんでもない。
ホロスコープの星たちを輝かせることで、きっと夢って、自然に見えてくるものなんだと思う。
夢ぐらい持てよ、っていう大人からのドリーム・ハラスメントなんかに屈してはいけない。
まず、ホロスコープの星たちを輝かせることを意識していく。
それが先なんだと思います。
今、夢がなくたっていい。
ホロスコープの星たちを輝かせていくうちに、きっと夢を持つことになるかもしれない。
夢がないまま死んだっていいのかもしれない。
それが自分の選択なら。
とにかく、強制された間違った夢だけは見ないでくださいね~!!
「夢を持つということ」については、もっともっと書きたいことありますが、これ以上長く書くワケにもいきませんので、ここらで筆を置きます。