先日、国木田独歩の「運命論者」を読みました。
ネタばれしない程度で内容をお伝えしますと、「自分」が偶然出会った人物の高橋信造が、不幸せな運命をつらつらと語る、っていうだけの小説です。
高橋信造は偶然初めて会った「自分」に、いかに不幸せな人生を送ってきたのかをつらつらと語る。
運命論者の高橋信造。
なんなんだ?この小説は。
まあ、文学って、こんなもんですよね。
文学というのものは、人間そのものを描くものなので、この小説のような、なんかもどかしい作品も多い。
人間とは、いかにもどかしい存在なんでしょうね。
高橋信造は今の苦しみを運命のせいにしている。
ちょっとネタばれですが、「自分」が最後の方で高橋信造に言った言葉に、私は大笑いしました。
「断然離婚なさったらどうです?」
いや~、この「自分」の高橋信造への言葉、笑った。
運命論者は向き合わない。
運命論者は、すべてを他人のせい、過去のせい、社会のせい、などという責任を他のせいにして逃げているのです。
これね、ホロスコープを読む、って時にも当てはまってまして、ホロスコープを運命論で読むとヤバい。
例えば、月冥王星スクエアを持ってる場合、「自分は絶望の人生の運命だから仕方ない」と運命としてあきらめて、希望のない人生を送るとか。
例えば、太陽火星スクエアを持ってる場合、「自分はトラブルの人生の運命だから仕方ない」と運命としてあきらめて、人を争い続ける人生を送るとか。
こういう運命論で自分のホロスコープを読んでいくくらいなら、占星術を知らない方がマシでしょう。
運命を言い訳にして、自己の成長がなくなるからです。
ホロスコープを運命論で読むのではなく、いかによりよき未来を創造していけるのか、っていう観点でホロスコープを読んでいった方がいい。
運命論でホロスコープを読む人もいるので、そういう読み方は、せっかく占星術を学んでるのにもったいないのです。
「運命論者」の高橋信造はもし、自分のホロスコープを読んだなら、きっと、こういうアスペクトあるから、今の自分が不幸なのは運命なのだ、とホロスコープのせいにしてただ嘆くだけなのでしょう。
運命論者は嘆く。
そりゃ、そうです。
運命のせいにしてるので、もう嘆くしかないからです。
自分のよりよき未来を創造していこうなんて思わないのが運命論者。
「断然離婚なさったらどうです?」と言われた高橋信造は、「人は到底運命の力より脱(のが)るることはできない」と言います。
なんなんだコイツは?
情けね~
文学とは、反面教師でもありますね。
ホロスコープを運命論で読むのだけはやめましょう~!!
私は、ホロスコープを、よりよき未来を創造していくための大いなるヒントとして読んでいくことをおススメしています。
2月のウイリアム流ホロスコープマスター講座もおススメです~!!