ごくたまにですが、「なんでこんなホロスコープに生まれてきたんだろう」って嘆く人がいます。
占星術を知っていく中で、その人は、いいホロスコープ、悪いホロスコープ、って分けてしまったのかもしれない。
自分のホロスコープが醜いものである、って思ってしまって嘆いてしまったのかもしれない。
しかし、これって、すごくもったいないホロスコープの読み方なのです。
自分のホロスコープを嘆く人は、自分のホロスコープは醜いばかり、と思い込んでいる。
それはその人の思い込みなだけ。
どんなホロスコープにだって、どこかに美しさがある。
それを見つけていくことが大切。
それを見つけていけた人が、輝いた人生へと向かっていく。
自分のホロスコープの醜さばかりにフォーカスする人は、不幸になっていってしまう。
とはいえ、自分のホロスコープの美しさばかりしか見ない人も、問題はある。
自分のホロスコープの醜い面を全く見ずに、無理に美しく生きようとしても、けっこう無理だったりします。
醜さばかりを見てはいけない。
といって、美しさばかりを見てもいけない。
醜くもあれば、美しくもあるのがホロスコープ。
自分の中にある闇と光。
その両面をホロスコープで把握していく。
闇と光の両方があってこそ人間なのです。
どちらかが欠落すると、偏った人生となり、どこかで行き詰まっていきます。
いろいろ具体例を出したいのですが、誹謗中傷と捉えられるといけませんので、本日はかなり抽象的な記事としてお読みください。
自分というものをいかに知るか、ということの重要性。
自分というものを知ってないのに、他者を理解することはできない。
自分というものを知ることができれば、その方法で他者を知るようにしていけばいい。
そうしていくことで、人間関係もスムーズになっていくのです。
自分の醜さと美しさと、それがなんであるかをまず知る。
どっちもあることを知る。
どっちもない、またはどっちかしかない、っていう自分の見方をしてる人は、自分が見えていないので、もう一度、自分を見つめましょう。
闇と光と。
どっちも自分なんだよ~